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ドイツ1部監督。青森山田前監督

七色のチキータと、インターハイ三冠王への最後の壁 坪井 勇磨選手

七色のチキータと、インターハイ三冠王への最後の壁 坪井 勇磨選手

坪井 勇磨選手(青森山田中学~青森山田高等学校~筑波大学)

選手生活は山あり谷ありです。良いときもあれば思うように結果が出ないときも必ずあります。坪井勇磨との6年間の思い出を思い出そうとすると、その山あり谷ありの競技生活は本当にドラマのようです。彼には様々な出来事があり過ぎてまるで昨日のことのように脳裏に甦ってきます。

小学校6年生の時に全日本ホープス第3位という実績を持ち、青森山田中学に入学した坪井。怖いもの知らずとも思える(笑)度胸万点のその試合運びで、中学1年生で全国中学シングルスベスト16に入り、カデット13歳以下で準優勝しました。しかし翌年、中学2年の6月末に肘に痛みを訴えました。3つの医者で診断していただきましたが一向に痛みは引かず、7月の全国中学県予選前にはとうとうラケットを握れなくなってしまいました。それでもコートに立ち東北大会出場を賭けたベスト8決定戦。5ゲーム目の9-10.坪井の出した下回転のロングSVを相手が打たず軽くツッツキ返した瞬間に県予選敗退が決まりました。坪井はラケットを振れませんでした。本人の志願で全国中学は団体戦のダブルスのみに出場しました。

山口県で行われた全国中学大会は学校対抗で優勝を飾り、閉会式終了後にナショナルチームドクターである小傘先生に診察していただきました。夕飯を食べている時に携帯電話がなりました。「板垣先生、坪井、折れてますよ。で、もうくっつき始めてますよ。」

中学3年生の夏、全国制覇を目標に目を輝かせて、1球1球執念を持った練習をする選手がいました。自分のチームに優勝候補と言っていただける選手が数人いる年代は、その練習に込める姿勢や生活態度を観察していると、何となく「誰があの夏の過酷な試合を制することができるだろうか。」と勘が働きます。「今年は坪井が獲ると思うよ。」私は妻に告げていました。坪井は優勝しました。決勝戦は一つ年下の三部航平(当時青森山田中学2年)との同士討ちだったため、板垣は遠くから試合を見ようと観客席の最上階にいました。決勝戦終了後、観客席に坪井が駆け上がってきました。何も言葉が出ませんでした。ただ涙を流しながら抱きしめてしまいました。「おめでとう….。」
 
全国中学チャンピオンという肩書きを引っさげて青森山田高校に入学しましたが、あまりにも強力な丹羽 孝希・町 飛鳥・吉田 雅己(以上、当時青森山田高校3年生)・森薗 政崇(当時青森山田高校2年生)の先輩には歯が立たず、シングルスもダブルスもインターハイには出場できませんでした。3月の東京選手権ジュニアの部で優勝はしたものの、直後の高校選抜では振るわず、高校1年生が終わりました。

高校2年生になった途端、1歳年下の及川瑞基(青森山田高校1年生)と5月~6月の公式戦で3度対戦し、3度ともフルゲーム9本という試合でした。5月の青森県高校春季大会と6月の東北高校選手権では勝ちました。
ただ、「インターハイ青森県予選」だけは…..。
そして夏の北九州インターハイでは、個人戦の出場はなく、団体決勝戦2対1リードの場面で力を発揮できずチームを日本一に導くことができませんでした。失意のままドイツに渡りました。

私が最も信頼する邱建新コーチに指導していただきながら、ドイツのブンデスリーグに出場し、きっかけを掴んだ坪井。ここから坪井の大逆襲がスタートするはずです。

高校2年生の全日本卓球選手権、男子シングルス4回戦。関東で活躍する大学生との対戦を迎えたその試合。「7ゲームマッチラブオール!」いきなり「0-10!」対戦相手が1点プリーズ、1-11でベンチに戻って来ました。
正直わざと笑いました。7ゲームだったからです。
この第1ゲームの不思議なところは、坪井はたった1球もチキータをミスしなかった所です。ベンチで見ていて「Good feeling!」でした。ただ、フォアに打ってもバックに打っても全て「ドンぴしゃり」のカウンター。
「坪井、タイミングを外すチキータってやったことある?1球もチキータミスってないんだよ。球種は増えなくても落点を深くとか浅くとかを変えることはできるんじゃない」
「やってみます!」
フォア・バックに打ち分けるチキータに浅い深いを混ぜ始めて、序所にカウンターを外し始めた坪井。「もし、チキータ外しで逆回転が来たら、「ハッタリ」で良いからパワーチキータで狙ったら?」
「もし、下回転に変えてきても、しつこくチキータで付いていこうぜ。ナチュラルにチキータに横下回転が入るし。」
「もしロングサーブがきても、チキータのつもりでレシーブで攻めるぞ!」
いつの間にか、フォアサイドを切るサーブとフォアへのロングサーブに対して以外は、全てバックハンドで強く攻められるようになった坪井。まるで「七色のチキータ」を完成させ、自由に操っているように自信を持って試合をしていました。
ようやく「坪井本来の『怖いもの知らずとも思える』試合運びが戻ってきた!」
でも、ベスト16決定戦でまさか青森山田の先輩の張一博選手((株)東京アート)に勝利するとは…..。坪井は完全にゾーンに入っていました。

その後3月の東京卓球選手権一般男子シングルスでも、高校2年生ながら、国内の実力選手に勝利し決勝戦まで進出しました。

しかし、春の高校選抜大会。東京選手権一般男子シングルス優勝の三部航平(当時青森山田高校1年)と準優勝の坪井、全日本選手権一般男子シングルスベスト16の及川瑞基(当時青森山田高校1年)、三人の実力のある選手達で挑んだ高校選抜大会は決勝戦で野田学園に敗退しました。2対3。。。

1番に出場した坪井は今大会初出場となる青山選手に敗退しました。青山選手はここまでは出番がなかったものの、青森山田が最も警戒する選手の一人です。ミスを恐れず、フルスイングしてきます。サーブも上手い。この試合、坪井は勢いに呑まれ「置きに行って」負けました…….。
「チキータが狙われています。怖いです….。」
この大きな壁を克服しない限り夏のインターハイでの活躍は有り得ない……。

平成26年7月、青森山田は中国のハルピンでインターハイに向けての強化合宿をしていました。七色のチキータを駆使しながら戦う坪井は、ゲーム練習では青森山田の勝ち頭でした。「あの左の選手、来年ハルピンチームから中国リーグに出てもらえないかな。」ハルピンチームの男子監督が声をかけてくれるほどでした。個人戦だけをしているまでは……。

合宿の後半、3人対3人での団体戦が始まりました。Aチーム(坪井・及川・三部)は5対4で勝ちました。及川と三部で5点取りました……。団体戦になると何かが変わってしまう。思い切りの良さがなくなり、別人のように守りのプレーをする坪井が現れてきてしまう。
合宿に同行してくれていた邱建新コーチにこの坪井の状況を伝えてアドバイスをお願いしました。邱コーチは団体戦を見学した感想を全員の前で述べました。
「坪井の卓球は戦術が重要。卓球は戦術が大切。でも坪井、お前の卓球は戦術の前にファイト。元気。まずファイト!元気!次に戦術。卓球に最も大切なのは気持ちだよ、気持ち。」
その夜、夕食後にハルピンの練習場を覗いて見ると、一番奥で、裸になりながら一心不乱にラケットを振り続けている坪井を見つけましたが、声はかけませんでした。(頑張れ坪井!勝たなきゃダメだ!自分で答えを見つけるしかない….。)

平成26年甲府インターハイ。最後にもう一度、坪井を信じてみようと決めていました。対戦相手の戦術を私が研究し、試合前に坪井に伝える。「俺はお前に戦術を伝える。お前は気持ちをしっかり持って『チキータで勝負かけてくれ!』」
大会3日目、ダブルスで素晴らしいチキータを放ち、全国制覇を成し遂げた翌日、学校対抗決勝では0対1という劣勢で回ってきた大一番を制し全国制覇奪回の立役者となって感激の涙を流しました。
坪井07
そして最終日、坪井はシングルスでもゾーンに入っていました。
いつの間にかベンチコーチで戦術を与えていると……
「先生、ワンモア……。オッケー。カモン!」外人かっ!完全にゾーン状態(笑)!
選手がそうくるなら板垣が「その勝負」で負けるわけにはいかない!そこだけは身内でも譲れません!
では板垣もゾーン状態に入らせてもらいます。「坪井カモ~ン!」
坪井05

偉大なる先輩たちでも高校卓球界で9人しか成し遂げられなかった三冠王。どうやって自分の壁を越えたのか。その答えは私には未だにわかりません。坪井だけがあの夏の出来事を知っているのだと思います。

現在の日本男子卓球は「世界チームランク3位」が示すとおりです。
「インターハイ三冠王?」それでも日の丸をつけるのは簡単な時代ではありません….。
「でも坪井はまたどこかで大爆発するんじゃないかな。ず~っと力を溜め込んで一気に爆発させて..。」
ハルピンで、裸になり一心不乱にラケットを振り続けていた2014年夏の坪井の姿….今でも鮮明に脳裏に焼きついています。

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